2011年3月26日土曜日

哀愁のボッサ・ソウル Port of Notes「(You are)more than paradise」

夜、独り、酒。
3つが揃ったときに必ず流したくなる、哀愁のボッサ・ソウル。
鼓動のパーカッション、泣きのギターに、伸びやかなヴォーカルが、
じんわりと沁み渡ります。

Port of Notesは
小島大介と歌姫 山美由紀のデュオ。
畠山さんは、
東日本大震災で甚大な被害のあった、
宮城県気仙沼市出身です。
2011.3.25、自身のブログで、故郷への詩を綴っている。

2010年10月29日金曜日

踊るピアノ。クラムボン「はなればなれ」

http://youtu.be/7njdrFDIvFs
クラムボン「はなればなれ」
作詞:原田郁子
作曲:ミト


クラムボンは、
原田郁子、ミト、伊藤大助の3人によるバンド。
専門学校、東京ミュージック&メディアアーツ尚美で出会い、結成された。
ポップス、ジャズ、ニューウェーヴ、プログレetc.多様な音楽性を持つ彼らの曲は、
振れ幅ドでかく、いつも新鮮な驚きを与えてくれます。


当時音楽・カルチャー系のライター業をしていた僕は、
このメジャー・デビュー曲「はなればなれ」(1999年3月)を、
彼ら自身が初お披露目されたコンベンション・ライブ(大阪・梅田)で聴き、
瞬時にファンになった。
彼らが1975年生まれの同級生だったことも
とっても嬉しかった。


さてと、踊るピアノが印象的なこの曲は、
タイトルから勘ぐるにジャン・リュック・ゴダールの映画に「はなればなれに」(1964年)にインスパイアされているのかもしれない。

映画「はなればなれに」の音楽を手がけていたのは、
ミシェル・ルグラン。
映画サントラでは、本人がノリノリでピアノを弾きまくりです。

2010年10月27日水曜日

やっぱレジェンド。Qlair「眩しくて」ほか

以前にも紹介したQlairの第2弾。
少し説明を加えると
Qlair(クレア)とは
フジテレビ主催・運営のタレント育成講座
「乙女塾」より1991年にデビューした、アイドルグループ。
メンバーは左より
今井佐知子、吉田亜紀、井ノ部裕子といいます。

今回は彼女たちのヒット曲(プチですが)を2曲紹介。




1曲目は4枚目のシングルとしてリリースされた「眩しくて」(1992年5月)。
片思いのきゅんとした想いを歌った屈指の名曲。
センターで主旋律を受け持つ、
吉田の亜紀ちゃんの歌声が何度夢に出てきたことか。
高校時代ドはまりしてました。


さて、この「眩しくて」。
なんと作曲は、あの和製テクノポップな女性アーティストだった山口美央子なのです。
彼女は作曲家になってからの活動のほうが輝かしいですね。
斉藤由貴、光GENJIらに曲提供してます。




2曲目は「SPRING LOVER 大作戦」とその続編である「SUMMER LOVER 大作戦」。
ともに1993年。
いきなりロケンローな路線に変更し、
はっちゃけた3人。
おそらくスタイリストも変わっていて、
「オリーブ」な感じのおしゃれさもアピールしているな。


兎に角、
クレアは、短命だったが間違いなく
アイドル界のレジェンド。


2010年10月21日木曜日

ヲタなヘアスタイルのボビー・コールドウェル「風のシルエット」

「風のシルエット(What You Won't Do for Love)」(1978年)

AOR、ブルー・アイド・ソウル界随一のダンディ、
ボビー・コールドウェルの1stアルバム収録曲「風のシルエット(What You Won't Do for Love)」

うっとりするほどにムーディー&ソウルフル。
当時ラジオから流れてきたこの曲を聴いた誰もが、
ボビーは黒人だと信じて疑わなかったという。

彼の経歴はこの記事に
詳しく書かれているが、
両親ともショウ・ビジネス関係の仕事をしており、
各地を転々とするなど、結構な苦労人のようだ。


この映像での彼は、今やヲタしかやっていない
アンバランスなポニーテール。
これが様になるのは、
ボビーとロベルト・バッジョ(イタリア・サッカー選手)くらいですね。

2010年10月20日水曜日

ちょいとマメ知識なZOO「Choo Choo TRAIN」

ZOO「Choo Choo TRAIN」(1991年)
作詞:佐藤ありす
作曲:中西圭三

「DADA」(TV番組)内にて
毎週末クラブ(ディスコ!?)で、すし詰め状態で踊る中から、
グンバツwに光っている奴をひとりずつ選抜して誕生したのが、
このZOOというグループだった。

それが、この曲一発でお茶の間のスターになった。

だから、つまりは、全員本物の遊び人で、
それこそテレビなんかにでちゃいけないくらいアンダーグランドなアニキ、アネキたちです。

↓ これがその問題の「DADA」。
 大阪時代に話しても誰も知らなかったので、関東のみの放送だったんだと思う。

高校生だったボクは、
深夜に放送されていたこの番組にどっぷりとはまった。

クラスメートには一切カミングアウトせずにダンスをはじめ、
彼らのファッションをマネた。

ダンスは22歳まで続けて、
当時はドレッドヘアでクラブイベントやダンスコンテストにも出演した。

今では誰も信じてくれませんが…苦笑

スタローンじゃねえよ、ビリーだよ!ビリー・ジョエル「オネスティ」


「オネスティ」(1978年)『ニューヨーク52番街』
作詞・作曲:ビリー・ジョエル

ビリー・ジョエルは、ナチの手を逃れドイツから亡命してきた
ユダヤ人の両親から産まれ、NYブロンクスで育った。

「誠実ってなんて淋しい言葉だろう
 誰も真実を見せてくれないから
 誠実という言葉を耳にすることはほとんどないけど、
 でも、それこそ僕が君から欲しいものだから…」

天賦の才に恵まれたビリーだったが、
正当な評価を受けるのには大変な時間がかかり、
鳴かず飛ばずのまま流れるように行き着いたロスのバーで
ピアノの弾き語りを行っていた頃に、
もうひとつの名曲「ピアノマン」が誕生し、
ようやく陽の目を見た。

この頃のビリーの表情には、
抜けきれぬ悲愴感が漂う。

ちなみに、サイモン&ガーファンクル、キャロル・キングなど
当時の優れたミュージシャンはいずれもユダヤの子でNY出身だ。


我思う、ゆえに我あり。石嶺聡子「私がいる」

「私がいる」(1995年)
作詞・作曲:尾崎亜美


歌うのは神がかりな歌唱力を持つ石嶺聡子。※青木さやかじゃないですよ
昭和50年生まれの僕の同級生。

沖縄民謡「花」のイメージが強い彼女ですが、
民謡ではなく、ポップス畑のシンガーです。

尾崎亜美が石嶺と肩を並べて作ったと言われるこの曲は、

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の哲学であり世界観。

きちんと理解して歌っていているのが端々からよくわかる。